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シンプル・ライフ

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「ハードボイルドっているのでしょうか?」

 
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 「ハードボイルドっているのでしょうか?」~東直己 ススキノ探偵シリーズ 
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 昔、若い友人が言った。
「ヒーローはこの世に存在しません。それがぼくの考えです」
 なんて情けない奴だと思った。
 年齢的には二十歳を越え、社会や歳若の子供たちへの責任を持ち、なにより男として生きている者が言うべき事じゃないと思う。
 自分よりすごい人を、同じ人間として受け入れた上で、ヒーローと見て称え、目標とする気持ち、自分の心に勇気を与えてくれる人への畏敬の念、そういう物がもてないのか。
 実に安易な、自閉的逃避心理だと思う。だから怒りました。
 すると、彼が、どうもヒーローというのは、そう言う物じゃないと決めていたらしい事がわかった。なんたる思考停止。
 どうも、ヒーローと聞いて頭に浮かぶのが、赤いマフラーの覆面オートバイ乗りとか、五人揃ってポーズを取るようなイメージだったらしい。バカだ。
 私は最近興味を持っているのだが、おおよその人間は恐ろしく思考停止が早くて、しかもその事に気付いていない。
 キリストの起こした奇跡の一つに、「ワインを水に変えた」と言うのがある。これを聞いた友人は言った。「まやかしだ」
 いいや、違う。これはつまり、当時、水しか飲むことを許されていなかった平民に自由と平等を説く事で、ワインを飲むという習慣を解禁させたという意味だ。
 わかるかな? これが、思考停止であり、想像力の無い決め付けだ。
 せめて勝手に決め付けなければまだ救いがあるのに、大抵の人間は恐ろしい勢いで決め付けているようだ。
 そうのような意味で、ヒーローがいない訳が無い。しかもリアルなヒーローが。そして私が今、もっともそれに近い形だと思っているのが、ハードボイルドというジャンルだ。
 思うに、人は……いろんな物になる。
 子供や美しい少女は、時として天使になりうるし、精悍な若者はスポーツのチャンピオンや恋愛物語の主人公になりうるだろう。
 ならば、おっさんはどうだ? 足が短くて腰が痛くて、見栄えが悪くて人にも好かれない奴は?
 資産家か、上司か。
 じゃあ、いい年してガキみたいな気持ちが捨てられなくて、定職も無くて、世間に通じるキャリアも無くて、ある物と言ったら、打ちのめされた心一つって条件が加わったら?
 その時は、ハードボイルドになれる。
 もしこの言葉を辞書で引いたなら、きっと特定の文体や、そのように描かれた推理小説に関して書かれているのを見ることになるだろう。
 だが、チャンドラーの時代ならともかく、今日びそんなベタなトレンチコート小説は無い。
 すでにハードボイルドは、進化してまったく別の、あらゆる形になっている。スポーツ・エージェント、読書家の大学生、発電所職員、元新聞記者、あらゆる職の人間が主人公になる。まるで二時間サスペンスだ。
 では、ハードボイルドのならではの要素とは一体なんだろうか? それはまず、徹底した独自の人生観だ。主人公たちはそれに乗っ取って行動する。
 元祖ハードボイルドのフィリップ・マーロウは「卑しき街を行く孤高の騎士」と呼ばれたが、まさにそのコピーこそが、ハードボイルドそのものだ。
 この言葉にある条件はたった三つ。「卑しき街を行く」「孤高の」「騎士」。
 条件としては、まず街、つまり住む世界が卑しい物として書かれている事。次に主人公は孤高である、つまり、その街に溶け込めていない事。それから、自分の騎士道に生きる者である事。
 だから、どんなにぽくても、ムーミン谷のスナフキンはハードボイルドとはちょっと違う。
 ちょっと昔、まだ全共闘的神話が残っていた頃、ハードボイルドはタフガイと決まっていた。喧嘩が強くて女にもてる。
 でも今、この新しい「卑しい街」に生きる孤高の騎士たちに、そんな好待遇は存在しない。なぜなら、今現代のこの街は、それを許さないまでに邪悪で卑しい。
 かつてのハードボイルドが北方謙三であったなら、今のハードボイルドの代表として東直己を推したい。
 彼の書く主人公は、大抵空手の使い手だが、それはあくまで揉め事が起きた時には立ち向かわざるを得なくなるという騎士道のかせのため。結果はおおむね袋叩きになる。
 「探偵は吹雪の果てに」の冒頭で、主人公はとりあえず袋叩きにあう。新刊発行記念の、ウェルカム袋叩きだ。
彼の年は45。自分でもネアンデルタール人じみてると思いながらも、喧嘩に挑んだ結果だ。
 彼は滅多打ちにされる。勝てるとかそういう問題じゃない。敵がいて、自分がいる。だから戦わねばならない、それだけの騎士道ルールだ。
 もちろん、目的は勝つことではない。ただ、倒されても倒されても、立ち上がる事だ。何度倒れても、彼は立ち上がる。無抵抗なままに。
 いや、相手が飽きるのを待ってはいない。口では延々攻撃している。わざわざ自分を殴る相手を挑発しているのだ。
 結果、彼は気絶し、物語が始まる早々に病院送りとなる。そんな力及ばずな情けない男、それこそが、真のハードボイルドだと思うのだ。
 人間は、全ての戦いで勝ちつづける事は出来ない。勝ちつづける奴がいるなら、それは勝てる相手とだけ戦っている奴だ。
 ハードボイルドってのは生存本能の対極にある。誇り高すぎて、肉体がついていかないのだ。
 十字架にのぞんだキリストは蘇った。でも、ただただ死ぬための十字架を背負う人間こそが、ハードボイルドだ。 
 ただ、ここで注意したい事がある。まず、前述した作品のあるシーンを参考にしよう。
袋叩きで入院ととなった主人公は、担当の医者に治療費を訊く。保険にも入らず、定職も持たず、趣味の悪い服を着て、ギャンブルで日銭をしのぐ主人公には、金銭は重要な問題だ。
 対して、話のわかる担当医は言う。今、この病院に汚わい政治家が入院しているので、治療費はそっちにつけておく。
 悪い奴の悪い金は水増しして請求できるんだから、あんたに払ってもらう必要は無い。って話だ。
 自分の事は自分で蹴りを付けると言った主人公に、更に医師は言う。
「全てをカッコヨク片付けるのは、場合によってはかっこ悪いんだ。少しはスキを残さないと、薄っぺらな人間になっちまう。薄っぺらな正義の味方は最悪だろ?」
 実に複雑で高度な価値観だ。浅いところで思考停止してない。
 ただ強い正義の味方、本当に正義が大好きで仕方ない正義の味方、それはあまりに架空の存在だ。歳若い友人の意見も理解できる。
 本当のヒーローは、あまりにリアルでみっともない。くだんの主人公は、若い頃に付き合っていた、今では60の女性に再会し、メロメロになっていいように事件に放り込まれる。
 あげく散々軽率なミスを犯し、ヤクザに大金を払う羽目になり、死にかけるが、それでもどうにか真相に辿りつく。この、真実に辿りつくっていうのは、ハードボイルドの騎士道規則に必ずかかれているに違いない。
 きっと、本当の事ってのを志向するあまりに、彼等は人生に敗北し、社会からはじき出され、うちのめされながら生きるのだろう。その全てが、上手に現世に立ち居振舞ってる人間にとっては理想像なのかもしれない。
 ハードボイルドの新解釈は、「負け犬の神話」がいいと思う。

bbs

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